歩のハンバーガービキニ

ミリマスPの妄想日記・SSなど

【日記】長くなった自分語り

このブログ、一年以上記事を載せていなかった。ほぼトゥイッターで済ませているから。

 

でもなんか頭の中に固まった書きたいことができて、トゥイッターで書くよりはこっちの方が適していたのでこっちに書こう。

 

この間、といっても多分4月とか5月とかなんだけど、Adoさんの『うっせぇわ』という楽曲を聴いた。YouTubeとかでちゃんと聴いたわけではなく、テレビの1コーナーで歌詞がクイズの題材になっていて、そこで一部分を聴いた。

 

トゥイッターを毎日見ていると、ある程度自分の知らない領分のお話が流れてくる。そういう情報の取り方をしていたら、『うっせぇわ』は「ウッとなる」とか「歌詞が聴いていてつらい」とか「若いうちに聴いておいた方がいい、はしかみたいなものだ」とか色々言われていた。当然叩く側の声の方がでかいのが健全なインターネット状態だと思うので、そういう言説の方が流れてきやすいのだろう。

 

私は多分ウッとなるだろうと思ったのだが、案外大丈夫だった(はしかパターンか!?)。そういう見方もあるよねみたいなつまんない感想を持った。ただめちゃくちゃ驚いたというかほ〜っとなったのは、Adoさんがめちゃくちゃ歌が上手いということだ。

 

そしてすぐに、この曲に共感した何者かになりたくてしょうがない全国の反抗心ある中高生が友達と肩を組んでこの曲を歌ってるんかなぁ、などと想像してげんなりした。そういうの悪い癖ですね。本当に孤立している人には響かねぇんじゃねぇかな(ちゃんと聴いてもいないくせにそういうことを言うな)。

 

でも、自分のことを思い返してみると、今現在ゴリゴリに親と社会の敷いたレールの上を走っている私も、中学高校の頃はTHE BLUE HEARTSを子守唄にしていた。誇張ではなくイヤホンで聴いたまま寝落ちする生活をかなり長いことしていた。

 

ブルーハーツを知らない人もいると思うので私の感想を書くと、パンクロックである。『ロクデナシ』や『ロクデナシ2』『星をください』あたりが、ブルーハーツの思想だと思っている。私も、バイトの面接で冷たくあしらわれたり、不動産屋で部屋を借りれなかったらするような、ロクデナシになりたくてしょうがなかった。

 

それはなんなのかと言えば、中高生として一人前に何者かになりたかったのだろうなと思う。今から考えれば不動産屋で部屋が借りれないなんて人生ハードモードすぎるだろ。でも真剣に憧れを持ちながら、当然そんな度胸も何も無かった。

 

何者かになりたいという欲求がどうやって消えたのか、それはやはり「私は私になった」とでも言うような感覚ができたからだろう。何者かになんてまずなれない。色々なところを旅して回って、最初の場所に戻ってきたような感じだ。

 

私の場合は、中高生から現在の自分に変わるまでの間、ターニングポイントはふたつくらい思いつく。大学で合唱団に入って、コミュニティへ所属しコミュニケーションの糸を繋いだこと。そして大学卒業後に精神科にかかって向精神薬を飲み始めたこと。

 

私は中学高校の頃は人とコミュニケーションを取ることができず、家を出てから家に帰るまで一言も言葉を発さずにいたこともしょっちゅうだ。小学校の頃からその傾向はあった。

 

合唱団に入ったことは結果的にほぼ最良の選択だったと今でも言える。他がどうかは知らないが、私の入った合唱団は同じような陰の者たちの集まりで、めちゃくちゃ居心地が良かった。しかも立ち上げたばかりと言うこともあり自由な発言ができて、自分の意見に力があることを知った。

 

今現在なぜかつらいとか人とのかかわりが怖いとかの症状を抱えている人、騙されたと思って精神科に行くことをお勧めする。もし私が中学か高校の時に精神科に通って向精神薬を飲んでいたら、とよく思う(残念ながら今よりマシだったとは言えない。今は私にとって最も良い状態だ。それは「今が1番若い」に似ている)。

 

まず、なぜかつらいがなくなった。それは恐らく、脳内のセロトニンの量が足りていないからだ。人とのかかわりも怖くなくなった。無力感がかなりなくなった。受診と薬で月3000円くらいの出費になるが、たった3000円でこの状態がキープできるなら喜んで払うね。もうあの頃の状態には2度と戻りたくない。

 

私も最初は「薬を飲まないとダメなら、意味がないんじゃないか。薬に頼って自分が強くならなければ、結局いつまで経っても症状は治らないんじゃないか」と思っていた。だが今では「薬を飲んででもいいから“良く生きたい”」としか思えない。寛解はあっても完治は無いと思った方が楽だ。そもそも心の症状なんだから、悪くなったり良くなったりもするだろう。

 

明確にいつからとは言えないが、「私は私になった」。何者かになるんじゃなく、私になった。そういう感覚が、最近よく頭の中に立ち上がってくるようになった。